源頼義

源頼義(みなもとのよりよし)
生没年:988-1075

源頼義は、988年に源頼信の嫡子として生まれます。1028年、頼信と主従関係を結んでいた平忠常が、上総国で謀反を起こすと、忠常鎮圧の大将を更迭された桓武平氏嫡流筋の平直方にかわり、父とともに坂東に派遣されました。そして反乱を治めると、1036年、相模守に任命されます。東国に勢力を伸ばした頼義は、平直方の娘を娶り、鎌倉の邸宅や所領を、直方から譲り受けました。これが河内源氏と鎌倉の関係のはじまりです。
後に陸奥守となった頼義は、前九年合戦(1051~1062)で陸奥国の安倍氏を滅ぼします。奥州の争乱を鎮圧した頼義は、1063年、その帰途に源氏の氏神である京都の石清水八幡宮を勧請し、鎌倉由比郷に由比若宮(元八幡宮)の社殿を造営しました。

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