🔶北条政子とは?
北条政子(1157~1225)は、伊豆の豪族北条時政の娘でした。伊豆に流されていた源頼朝と結婚、のちに鎌倉に入ります。頼朝が亡くなった後、征夷大将軍となった頼家、実朝が相次いで亡くなり、京から招いた幼い三寅(後の藤原頼経)の後見となって幕府の実権を握り、尼将軍と称されました。弟・義時とともに承久の乱では、朝廷に対して毅然とした態度を取り、北条氏執権政治の基礎を作りました。
🔶北条政子ゆかりの地
政子石
旗上弁財天社の社殿裏に置かれた石は、「政子石」とも「姫石」とも呼ばれる陰陽石です。古図によると、かつては鶴岡八幡宮社殿に置かれていたもので、北条政子が懐妊したときに源頼朝が安産祈願をした石だと伝わっています。
段葛
鶴岡八幡宮の「段葛」は、源頼朝が妻の北条政子の安産を祈願して造らせたとされる参道です。
勝長寿院跡
政子は、晩年を勝長寿院奥に屋敷を建てて過ごし、1225年7月11日に亡くなりました。 『吾妻鏡』によれば、勝長寿院で荼毘に付されたといいます。
壽福寺
源頼朝の死後、北条政子が頼朝の父、義朝の旧邸跡に栄西を開山として創建した寺院です。裏山の墓地には、北条政子の墓と、源実朝の墓と伝わる五輪塔があります。
安養院
政子の法名である安養院が寺名になったといわれます。本堂には北条政子の像などが安置されています。また、本堂裏手には、北条政子の墓といわれる石塔があります。
