🔶北条義時

北条義時(1163~1224)は、伊豆の北条氏に生まれます。父は時政、姉には政子がいて、伊豆に流された源頼朝と政子が結ばれたことにより、頼朝の挙兵に協力し、鎌倉に入りました。頼朝が亡くなると、新しい鎌倉殿の源頼家を支える13人の重臣に選ばれます。北条氏はその後、梶原氏や比企氏などの有力御家人と敵対しますが、いずれも勝利を収めました。将軍家の権力が弱まる中で、「執権」として実権を握り、後の北条氏による執権政治の礎を築きました。

🔶北条義時ゆかりの地

覚園寺

1218年、北条義時が十二神将の戌神将のお告げを受けて建立した大倉薬師堂を前身とし、1296年、9代執権北条貞時が元寇を退けることを祈って寺に改め、智海心慧上人を開山として覚園寺は創建されました。

宝戒寺

1335年、後醍醐天皇が北条氏滅亡後その霊を慰めるため、足利尊氏に命じて建立させたのが宝戒寺です。寺域は北条義時が小町邸を造って以来の歴代の北条得宗家の屋敷跡と伝わっています。

法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)

大倉幕府跡の裏山、源頼朝の墓辺りが法華堂跡とされています。源頼朝墓の東隣の山の中腹に、北条義時の墳墓堂跡とされる遺構があります。

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