北条泰時

北条泰時(ほうじょう やすとき、1183年〜1242年)は、鎌倉幕府第3代執権であり、名執権として知られています。祖父・北条時政、父・北条義時から執権職を継ぎ、幕府の制度を整備しました。特に、御成敗式目(貞永式目)を制定し、武士の法による統治を確立した点で高く評価されています。

🔶北条泰時ゆかりの地

成就院

かつて空海(弘法大師)が諸国巡礼の折に護摩供の修法を行ったといわれる跡に、1219年、北条泰時が創建したと伝えられています。1333年、新田義貞の鎌倉攻めの戦火で焼失しましたが、江戸時代に再建されました。

宇津宮辻子幕府

1225年、北条泰時は、北条政子が亡くなると大倉幕府を宇津宮辻子に移しました。1236年、四代将軍藤原頼経が若宮大路に幕府を移すまでの11年間は、ここが政治の中心となりました。現在は、幕府があったとみられる一角に宇都宮稲荷が祀られています。

和賀江島

現存する日本最古の築港遺跡である和賀江島は、勧進僧の往阿弥陀仏が北条泰時の協力を得て、伊豆石などを積み上げて約1カ月で完成したといわれます。

常楽寺

大船にある常楽寺は、北条泰時が1237年、妻の母の供養のため粟船御堂を建て、退耕行勇が供養の導師を務めたのが始まりとされています。泰時の墓もここにあります。

東勝寺跡

東勝寺は、13世紀中頃に、北条泰時の命により、退耕行勇を開山として創建したと伝わります。北条氏の氏寺として隆盛を誇りましたが、1333年、新田義貞らの鎌倉攻めの際、北条高時が東勝寺に逃げ込み、一族郎党以下870余人とともに自害したことから、東勝寺は鎌倉幕府滅亡の地ともいわれています。

朝夷奈切通

鎌倉と金沢(横浜市)を結ぶ切通。1240年、北条泰時自らが監督して工事したと『吾妻鏡』に記されています。和田義盛の三男で豪傑だった朝比奈三郎義秀が一夜で切り開いたという伝説からこの名が付いたとされます。

巨福呂坂

鶴岡八幡宮の裏参道のあたりから西の方角へ向かう道が旧来の巨福呂坂です。北条泰時が1250年に整備したとされる鎌倉七口の一つです。

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