執権北条氏

北条氏は執権を世襲し、幕府の実権を握りました。2代義時が承久の乱で朝廷を破り地位を確立すると、3代泰時は「御成敗式目」を制定。続く5代時頼は、引付衆を設置して裁判の公正を図るとともに、有力御家人を排除して北条氏の専制を強めました。8代時宗は元寇の国難を退けましたが、戦後の恩賞不足による御家人の困窮や独裁への不満が噴出。1333年、足利尊氏や新田義貞らの離反と攻撃により、一族は鎌倉で滅亡しました。

北条経時

鎌倉幕府の第4代執権(在職:1242年〜1246年)。祖父泰時の後を継ぎ20代前半で就任。在職わずか4年で病に倒れ、弟の時頼に職を譲り23歳で没しました。短い在任期間ながら、泰時以降の政治体制を次代へ繋ぐ架け橋としての役割を果たしました。

北条時頼

鎌倉幕府の第5代執権(在職:1246年〜1256年)。宝治合戦で有力御家人の三浦氏を滅ぼし北条の権力を固める一方、引付衆を設置して裁判の公正化に尽力。民衆を慈しむ「名執権」と称され、能の「鉢の木」のモデルとしても知られています。

北条長時

鎌倉幕府の第6代執権(在職:1256年〜1264年)。極楽寺流の出身。時頼の嫡子である時宗が成人するまでの中継ぎとして就任しました。六波羅探題を務めた実務経験を活かし、誠実に幕政を支えた安定感のある実務家として知られています。

北条政村

鎌倉幕府の第7代執権(在職:1264年〜1268年)。2代義時の子で、長年幕府を支えた宿老。蒙古襲来の危機が迫る中、若き時宗に執権を譲り、自らは連署として補佐役に徹しました。豊富な経験で未曾有の国難に立ち向かう体制を支えました。

北条時宗

鎌倉幕府の第8代執権(在職:1268年〜1284年)。5代時頼の嫡子。2度にわたる元寇に対し、元の使節処断や防衛指揮など強力なリーダーシップを発揮しました。内乱を鎮圧しつつ、未曾有の国難から日本を守り抜いた激動の時代の指導者です。

北条貞時

鎌倉幕府の第9代執権(在職:1284年〜1301年)。8代時宗の嫡男。平禅門の乱で内管領の平頼綱を滅ぼし、権力を北条宗家へ集中させました。これにより、北条氏による独裁的な「得宗専制政治」を確立しました。

北条師時

鎌倉幕府の第10代執権(在職:1301年〜1311年)。8代時宗の甥。従兄である9代貞時が出家した際、その跡を継いで執権に就任しました。貞時による得宗専制が続く中、実務を担う執権として幕政の運営にあたりました。

🔶執権北条氏ゆかりの地

光明寺

北条経時が1243年、然阿良忠(記主禅師)を迎えて開いた浄土宗の大本山です。良忠は浄土宗の第三祖で、彼が鎌倉に住んだことで浄土宗が関東以北へ広がったといわれています。歴代執権の厚い帰依を受け、大寺院へと発展し、念仏道場の中心となっていきました。

建長寺

1253年、北条時頼が中国(宋)の高僧・蘭渓道隆を迎えて創建しました。日本最初の禅宗専門道場であり、幕府とも強く結びつきました。本尊は木造地蔵菩薩坐像。鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の本山として知られています。

銭洗弁財天宇賀福神社

1185年に源頼朝が創建したと伝えられます。13世紀半ば、北条時頼がこの水で金銭を洗い清めると同時に、心身を清め行いを慎むよう人々に勧め、自らも率先して一族の繁栄を祈ったことが「銭洗い」の始まりとされています。

浄光明寺

1251年、真阿を開山、北条長時を開基として創建。後醍醐天皇の皇子である成良親王の祈願所となる一方、四つの勧学院が建てられ、学問道場としての基礎が築かれました。後に足利尊氏・直義兄弟も深く帰依しました。

妙本寺

境内にある「蛇苦止堂」には、比企の乱で悲劇の最期を遂げた若狭局の霊が祀られています。その霊が北条政村の娘に取り憑いて苦しめたため、政村が霊を慰めるために祀ったのが始まりといわれています。

北条氏常盤亭跡

北条政村をはじめとする政村流北条氏が、防衛の要衝である常盤に構えた別邸跡です。約11万平方メートルが国の史跡に指定されており、内部では「法華堂跡」や「やぐら」が確認されています。「常盤」の地名は、政村の法名「常盤院覚崇」に由来しています。

明月院

1160年に首藤俊通の供養のため建てられた明月庵を前身とし、1256年に時頼が最明寺を建立しました。時頼の没後に廃絶しましたが、子である北条時宗が禅興寺として再興しました。1868年、廃寺となり、筆頭の支院だった明月院だけが残りました。

甘縄神明神社

8世紀初めに創建された鎌倉最古とされる神社で、源氏とも深い縁があります。石段の下には、北条時宗が産湯に使ったと伝えられる「北条時宗公産湯の井」が残されており、時宗誕生の地としての歴史を今に伝えています。

円覚寺

二度の元寇(蒙古襲来)で亡くなった敵味方両軍の兵士を弔うため、1282年に北条時宗が中国(宋)の高僧・無学祖元を迎えて創建しました。鎌倉五山第二位の名刹で、時宗の墓所は塔頭の佛日庵にあります。

東慶寺

1285年、北条時宗の妻・覚山尼を開山、北条貞時を開基として建立されました。女性側から離婚できなかった封建時代に、ここへ駆け込めば離縁できる「女人救済の寺(縁切寺)」として、明治時代まで600年にわたり特権的な寺法が引き継がれました。

浄智寺

北条師時が、父・宗政の菩提を弔うために創建しました。1323年に行われた北条貞時の13回忌の際には、建長寺や円覚寺に次ぐ規模を誇ったといわれる名刹です。現在は鎌倉五山の第四位に数えられています。

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