🔶源頼朝とは?
源頼朝は1147年に河内源氏・源義朝の三男として現在の愛知県で生まれました。父の義朝が平治の乱で敗れると、頼朝は伊豆に流されます。頼朝は、伊豆で以仁王の令旨を受けると、北条時政、北条義時などの坂東武士らと平家打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠地として関東を制圧します。その後、平家を倒し、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼし全国を平定しました。頼朝は、1192年には征夷大将軍に任じられ、これにより、朝廷と同様に京都を中心に権勢を誇った平氏政権とは異なる東国に独立した武家政権が開かれました。
🔶源頼朝ゆかりの地
鶴岡八幡宮
鎌倉の中心にある神社で、1180年に鎌倉入りした頼朝が由比若宮を現在の場所に移して整備したもの。武家の守護神として崇敬され、政治・文化の中心でもありました。
大倉幕府跡
源頼朝は1180年10月に鎌倉に入ると、大倉郷に御所を建てました。それ以降、源頼家、実朝と続き、1225年に源頼朝の妻・北条政子が亡くなり幕府が宇都宮辻子に移るまでの45年間、この地が鎌倉幕府の中心でした。
勝長寿院跡
源頼朝は1185年、父義朝の霊を慰めるために勝長寿院を創設しました。鶴岡八幡宮寺、永福寺とともに三大寺院として知られています。勝長寿院は度重なる火災に遭い、16世紀前期頃に廃寺となったと考えられています。
永福寺跡
源頼朝が、1189年の奥州合戦で亡くなった弟の源義経や義経をかくまった奥州平泉の藤原泰衡ら数万の霊を供養するめに1192年に建てたられたのが永福寺です。現在は整備された史跡公園として公開されています。
荏柄天神社
鎌倉でも古い神社で主祭神は菅原道真。源頼朝はこの地に幕府を開くにあたって、鬼門の方角を守る神としてこの神社を崇めました。
白旗神社・法華堂跡
白旗神社のある所は、古くは頼朝を祀る法華堂がありました。神社奥の山上には、鎌倉石の多層塔の源頼朝墓があります。